受け取る力

【偉人たちのエネルギーの源は何だったのか?】

試行錯誤しながらキャリアを充実させ発展させていく人がいる一方、壁にぶつかりそれを越えられない人、満足し停滞しやがて活気を失う人、そういった人たちも確かに存在します。

なぜ一方は停滞したり沈んでしまったりし、一方はそれを乗り越えさらにキャリアを発展させていけるのか。その違いはどこにあるのか。その違いを生む違いについてこの章では考えていきたいと思います。

壁を越える人、足を止めずに歩み続ける人、彼らは何が違うのでしょうか?
なぜ松下幸之助は死ぬまで事業に情熱を捧げていられたのでしょうか?
なぜ黒澤明は死ぬまでメガホンを持ち続けられたのでしょか?
なぜドラッカーは死ぬまで新しい本を書き続けられたのでしょうか?

【受け取る】

Co-ducationは【受け取る力】こそがその源泉なのではないか、そのように考えます。

毎日おいしいご飯が食べられる。そのことだけで、どれほどのものに感謝できるだろうか。お米を育ててくれた農家の方がいなければ白米も食べられない。その米を運んだトラックの運転手さんの顔も知らないけれど、その人が運んでくれなければお店で米を買うこともできない。スーパーだって自分がつくったわけじゃない。誰かがスーパーという仕組みを作ってくれたからその便利さを享受できている。店員さんがレジを売ってくれなければ米を買うこともできない。

そもそも、こんなに平和に家族でご飯が食べられるのは誰のおかげだろうか。自分の祖父母や曽祖父母は、戦争を経験している。つい2代、3代前のことだ。今、自分がこの平和を享受していられるのは誰のおかげなのだろう。誰に感謝すればよいのかすらわからない。

毎日、会社に行けば仕事がある。仕事を依頼してくれるお客様がいて、仕事を任せてくれる上司がいる。困った時には助けてくれる同僚がいる。仕事があるから、家族を養うこともできる。

自分は細かい作業が得意だけれど、この力は誰から授かったのか。神様がくれたのか、親が育んでくれたのか。そういえば小さい頃から折り紙とか、細かいところまできっちりつくっていたけど、よく親に誉めて貰ったなぁ。今、この能力を活かして仕事をして、そういった仕事を任せてもらえるのも、自分ひとりだけでやってきたからなんかじゃない・・・

当たり前と思って流してしまう、気づかない、すぐに忘れてしまう、でも本当は確かに受け取っている本当にいろいろな、本当にたくさんのものを、【しっかりと受け取る】。

この受け取る力を磨くことは、とてもとても重要なはずです。

これだけのものをいただいていると思えば自信になります。
これだけのものをいただいていると分かれば、これは何としてもお返ししなければと思います。
これだけのものをいただいていると知れば、自ずと周りの人に対して感謝の気持ちをもちます。

人間は、本当に深い感謝の気持ちを持ったとき、とてつもないエネルギーが湧いてくるものです。

これは別に、義憤が不要だと言っているわけではありません。「もっと社会はこうならなければならない!」という強い思いをもって事業に取り組んでいく人もいらっしゃるでしょう。しかし、これが怒りや恨みの基づいた私憤が出発点だとしたらやはりそのエネルギーには限界があるはずです。私憤ではなく義憤で動くためには、やはり自分を育んできてくれたものへの感謝が、社会に対する正義感と共に必要なはずなのです。

私事が例えで恐縮ですが、私は、本当に自分の父親に感謝ができるようになったとき(それがきたのはもう30歳になろうという時だったのはお恥ずかしい話ですが)、深いエネルギーが自分に沸いてくるのが分かりました。

自分の父親が、どれほどの苦労をして仕事をして稼いで、母や兄や祖母や私を養ってきたのかということに真剣に思いを馳せると、一生感謝しても感謝しきれないものをもらってきたのだと、心底思えたときがあったのです。

それから、私は仕事で大変なことがあっても、昔よりもずっとそれに前向きに取り組めるようになりました。「これくらいの苦労は、うちの親父もしてたはずだから」そう思うと、苦労があっても大変であっても当たり前のように感じられてくるのです。

多くの成功哲学や自己啓発書は与えることの重要性と説いています。「何がもらえるかではなく、何を与えられるかを考えなさい」と。これは確かに重要なことだと思います。欲しい欲しいばかりで自分は何もしない人が、幸せなキャリアを築けるとはなかなか考えにくいですね。

何を与えられるかを考えろ、と言われても実はなかなか考えられない。それは「足りていない」からです。自分がもっともらうべきだと思っている人は、人に与えることに集中できないのです。人に与えようと思ったら「自分は十分にもらっている」と知ることです。自分が受け取っているものの大きさを思い出すことです。そうすれば与えることができるようになるはずです。

禅の源流がある内観という修業?法がありますが、これは極めてシンプルな方法を【受け取る力】を高めてくれるものです。

  • していただいたこと
  • して返したこと
  • ご迷惑をおかけしたこと

この3つを、自分の伴侶や上司、同僚、友人に対して考えるという方法です。
私自身、毎日はできませんが、できるだけ内観をするようにしています。内観をするたびに深いエネルギーが湧いてきます。(これは、夫婦円満の秘訣でもあると感じています(笑))

これからキャリアをさらに充実させようと、充実した時間を過ごそうと思うとき、やはりエネルギーが必要になります。エネルギーは自家発電していると錯覚していたとしても本当は自家発電などできないのだと思います。健康を維持するのに食べ物を食べる必要があるように、充実したキャリアを築くには、人からいただいているものをしっかりと受け取る必要があるのではないでしょうか。

【ご恩返しとご恩送り】

最近はあまり使いませんが、日本語では昔「ご恩送り」ということが日常的に使われていたそうです。

受け取る力が高まってくると、どうにかこれはお返ししなければという気持ちになってエネルギーが湧いてきます。

その感謝の気持ちを、もちろん感謝すべき対象にお返しするのもいいでしょう。両親への感謝の気持ちを、例えば旅行をプレゼントすることで返すとか。

でもお返しが難しい場合や、ちょっと照れくさかったり恥ずかしかったりするときもあるものと思います。照れくさいくらいのときは、ぜひお返ししたらいいとは思いますが、お返しが難しいときも確かに存在します。

そんなときは「ご恩送り」ということばを思い出したらいいと思います。少し前に映画で「Pay it foward(ペイ・フォワード)」というのがヒットしましたね。つまり、ああいった感じです。

このご恩送りのすごいところは、「何かを与えてやっている」と増長しないで済むところです。「私はすごいんだ。私の力でやってあげている」という”与える”ではなくて、感謝の気持ちを持って、例えばもう亡くなったお祖父ちゃんに返すことはできないから、せめてこの子にご恩送りしたい、そういう気持ちで何かができることです。「してあげている」ではなくて「させてもらっている」という気持ちにすらなります。

「してあげている」と、返して欲しくなります。見返りがないと動けなくなってきて、だんだんとエネルギーが低下していきます。しかし、まず先に受け取っているものがあって、それをご恩送りさせてもらっているのだ、となればエネルギーは全然減らないのです。むしろ増えてさえいきます。

全ての仕事や行為はご恩送りなのだ、と思えるほど受け取る力が高まったなら、その人のキャリアや人生は最高に幸せで充実したものになるに違いありません。

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